こころの17:思い出は不老薬

ボンタンアメ
駅の売店で見つけたボンタンアメの箱には100周年と記されていた。気にしながら通り過ぎたけど、すぐに電車がくる気配もない。もう一度引き返して、懐かしいアメの箱を一つ買ってみた。
オブラートに包まれたアメは口に入れてもすぐに甘みを感じない。それでも噛んだりなめたりしている間に、オブラートが溶けてボンタンの甘みが歯にからみつく。そういえばこのアメは昔からネチョネチョして、よく歯にくっついた。
こんなお菓子を食べていた頃、タクシー料金はトヨペットクラウンの場合80円だった。ダットサンが70円で日野ルノーは60円。山手線の初乗り代金が10円の時代。
こうして古い思い出が蘇るのは心地がいい。
ただし、こういう記憶は多分に整形が施されていることを、忘れてはならない。
美しかった彼女はより美しくなり、少し低めの鼻は、いつの間にか記憶の中で丁度良い高さになっている。
そんな時代の憧れは「奥様は魔女」や「じゃじゃ馬億万長者」。テレビドラマに見る豊かなアメリカの生活だった。大きなオープンカーに美女を乗せて走るエルビス・プレスリーは、ピカピカ光って異次元の存在だった。
しかし、どんなものでも年月を経れば色があせる。
先日、ユーチューブでビヴァ・ラスベガスのさわりを目にする機会があった。プレスリーとアン・マーグレットが共演した映画で、1963年の封切りである。

映画館ではアンの脚線美とスマートなダンスに目を見張ったが、さすがに60年が経つと印象が変わっていた。
あんなにスピーディーに感じていたダンスだけど、動きがどうものろい。身体を曲げる度にボディータイツにしわができて、これはタイツの素材の問題だけど、実際に映像を見ると、思っていたアン・マーグレットとは少し様子が違っていた。
反対にだんだんよくなるイメージもあって、それは我が家にテレビがやってきた頃のこと。
古典的な畳敷きの座敷に、最新のテレビは似合わない。でも、時とともに違和感は薄れて、今では懐かしい昭和の景色。古き良き時代の名残になった。
メンタルタイムトラベル

インターネットを次から次に検索して眺めることを、ネットサーフィンという。
思い出を次から次に楽しむことを、メンタルタイムトラベルという。
それは何か一つの出来事をきっかけに、湧き上がってくる様々な思い出に浸ることで、今一度、過去を旅することになる。当然、こんな旅をするのは高齢者。だから同じ記憶をもとに、同じ話を何度もする。
私自身はいつからこんなメンタルタイムトラベルをするようになっただろう。
以前は何も感じなかった母校の小学校や昭和の歌謡曲が、いやに懐かしく感じるようになった。気にも留めなかった先祖のことが頭をよぎる。 天気のよい日は、あてもなく散歩にでかけて、気が付けば昔の遊び場を歩いていた。多分、これがメンタルタイムトラベルのはじめ。
忘れ脳
もの忘れが気になり始めると、新しいものが苦手になった自分に気づく。
スマホの操作は難問中の難問。アプリを入手とは一体なんのことか。
次から次に出てくるアイドルたちは、名前と顔が一致する前に消えてゆく。
最近学んだのは、4人で歌って踊る女の子のグループがいて、これを「新しい学校のリーダーズ」という。でも、3人だとキャンディーズ、2人だとピンクレディーを連想してしまう自分がいる。
ザ・ピーナッツと言わくてよかった。
忘れ脳にとってメンタルタイムトラベルはなぜ心地よいのか。それは新しい知識を得るものではなく、過去の記憶を自由に飛び回るものだから。
その記憶とは若いうちに何かの体験や、過去に学んだこと。知らず知らずのうちに覚えていたこともあって、これこそが今の自分の基礎となっているのです。
ところが、定年退職や子供の自立を経て、時が経つと、次第に自分が社会の中心から外れてくる。思い出の中心からも外れて、自分の立ち位置もよくわからない。
そんなときにメンタルタイムトラベルをすると、そこには輝いていた時の自分がいるのです。
思い出とは過去の記憶に過ぎないけれど、そこに確かな自分を見つけることができる。
社会の中で活発に動いている自分がいて、積み残した問題も、未解決なこともたくさんあった。こんなことを想いながら今一度、歩んできた道の再評価をすると、新たな自分が浮かび上がる。
その心地よさに脳のストレスが和らいで、恰好の気分転換になるのです。脳が幸福感を感じれば、その健康も維持できる。
こうして過ごせば、たとえ残された時間がそう長くなくても、創造性の豊かな人生のプランニングができる。
意識をするにしても、しないにしても、誰もが人生の後半で行っているメンタルタイムトラベル。
あらためて生きがいを感じる一法になると思うのです。