自由が丘・神社めぐり

参拝作法

参拝をするときには、まず鳥居をくぐる際の一礼から。これだけで、いっきにお参りモードに入ります。
そして手水舎で両手を清めます。これは神社ならどこにでもある手洗い場で、(ちようずや)と読むことが多い。

まず、右手でひしゃくの柄をもって左手を清めます。次にひしゃくを持ち替えて右手を清める。もう一度右手でひしゃくを持って、左手に溜めた水で口をすすぎます。それからいよいよ参拝です。
参道は真ん中を歩かず、遠慮がちに少し端を進むとよい。これは私が常々心がけていたことで、ゴルフのときもフェアウェイの真ん中を歩くことはなかった。

賽銭箱の前に立ったらまた一礼をして、神さまに捧げる真心の記しとして、お賽銭を入れます。
お賽銭の額にはっきりした決まりはないけれど、ご縁を思えば5円、十分なご縁ならば15円、いいご縁を願えば115円。まあ、何とでもいえますが。
どれも結構細かい小銭だけど、最近ゆうちょ銀行では小銭を扱うと手数料をとられることがあるので、あまり細かい小銭は神様も嫌がるかもしれません。

そしていよいよ拝礼。まず二拝、そして二拍手、両手をおろしてもう一拝。
ここで祈ることは、これまでの健康やご縁に対する感謝です。小銭一つで商売繁盛、結婚、子宝など強欲な願いをしてはいけない。そして帰りにも一礼を忘れてはいけない。

神社とはどんな田舎にも山奥にもあるもので、日本人の信仰心が伺えます。
そして、基本的に一度できた神社がなくなることはないし、めったに増えることもない。人口が数十人の村にも一つ二つはあるのだから、日本の神様密度はかなり高い。
では、自由が丘の神様はどうか。大正から昭和にかけて、人口が増えた割に神様は増えなかった。
神様密度は低くなったけれど、その自由が丘で知らない人がいないのは熊野神社。

熊野神社

もともとこの地は、武蔵国荏原郡衾村の中で、谷畑と呼ばれた地域である。

源平合戦が終わって社会が落ち着くと、東の武士も庶民も熊野詣でを始めるようになった。そして、当時この谷畑の名主が熊野三山に詣でて「熊野本宮大社」の御分霊を頂いて、できたのが熊野神社です。このあたり一帯の鎮守の神様になった。

 当時、谷畑は広大な竹藪で、筍と馬の産地。筍は消えてしまったけど、近隣には駒沢、駒場、上馬、下馬などの地名が残る。
熊野神社はその中心にあった。なぜ中心かというと、熊野神社の西は谷畑西、北は谷畑北と呼ばれたくらいだから。東も同じ。

 その谷畑村には60戸ほどの家があった。どういう目的か知らないが、徳川幕府の政策で、この60戸の家は増えも減りもせず、大正の始めまで続いていた。

しかし、大正12年に目蒲線の奥沢駅ができた。昭和2年に大井町線、同3年に東横線が相次いで開通して、人口はいっきに増え始めた。
当時、東横線の駅は九品仏駅と呼ばれていたけれど、これが本当の九品仏の表参道前に移転をしてしまった。

そこで、当時自由教育の手塚岸衛、舞踊家の石井獏氏他、文化人が集まって名前をなくした駅を自由ヶ丘と呼ぶことにした。昭和7年のこと。昭和40年には自由が丘となった。
谷畑はその後、自由が丘として発展をしたけれど、その中心にあったのはやはり熊野神社。

毎年行われる例大祭では伝統的な「目黒ばやし」が披露され、獅子舞やおかめ、ひょっとこが現れたと聞く。しかし、残念ながら私はおかめ目にしたことがない。
盆踊りもだんだん盛んになって、いつしか駅前広場で催されるようになった。
こんな自由が丘の発展を見続けたのが熊野神社だったのです。

谷畑神社


では谷畑の神様はどこに行ってしまったか。谷畑弁財天があるのです。
熊野神社の裏手にあたる通り。通称緑小通りといいますが、東横線がこの通りと交差するガードがあって、その線路脇の小道です。

その昔、こんこんと湧き出る清水があって、ここが金剛尊者の御神示により、辨天様の霊地であることがわかったのです。
そういえばこの近くには、今も普通の家庭に井戸の手押しポンプがいくつか残っている。

谷畑村の人たちが豊富な湧き水の御恩に感謝して祀ったのが弁財天。弁財天は七福神中の女神で、水の神とも財宝の神とも言われます。

 この弁天様は色欲財欲による悩みを解いて下さる。その上親子夫婦、嫁姑の反目の悩みを救済する。

同時に谷畑は、馬のおかげで発展したことを忘れてはならない。そこで、同時に馬霊魂の供養をしています。そしてなぜか肩、足腰の痛みにご加護がある。

色欲、財欲、家族仲と聞けば、これは私の場合、参拝をせざるを得ない。ましてや、整形外科で腰痛の手術療法の話をきいたばかりである。足腰の痛みにご加護があるとすれば、これはもう絶対なのです。

お賽銭はいいご縁の115円を通り越して、四方八方からのご縁で、485円。
嫌に細かいから、500を入れて、釣銭はいらないのどと言おうものなら、どんな罰が当たるかわからない。