こころの16:流れ者
過去の流れ者
縄文時代は狩猟文化で、人々は狩りをしながら洞窟や岩陰を住処とした。弥生時代になると農耕文化が主流となり、畑の近くにほったて柱の家や村を作って定住を始めた。
子供の頃、確かこんな風に習ったけど、実際の縄文時代はもっと安定した暮らしぶりで、それは青森の三内丸山遺跡を見ればわかる。
歴史の真実はともかく、人は放浪よりも安心して暮らせる家を望むもの。アパート暮らしの若者は、30年もかけて家のローンを組む。30年といえば病気に事故、会社の倒産も離婚もあるだろうに。その返済がどんなに大変なことでも、決まった住処を望むもの。
その昔、住む家を持てなかった人は流れ者と呼ばれた。旅がらす、無宿者、渡世人も同じ。
木枯らし紋次郎や拳銃無宿が流行った。映画館では日活の小林旭や宍戸錠が演じる流れ者シリーズがあった。テレビや映画では格好よく描かれる無宿者だけれど、実際にそんな人がいたのだろうか。
木枯らし紋次郎は十歳の時に上州三日月村の故郷を捨て、その後一家は離散をした。こういう筋書だった。
なぜ故郷を捨てなければならなかったのか。
それは貧困の問題であり、江戸時代の百姓は大勢の家族が同じ土地で暮らせるほど、豊かな社会ではなかった。
丁稚奉公と言えば聞こえはいいが、実際は体のいい身売りで、百姓の家に育ち、12歳になった子は奉公に出された。この時親は前金を受け取っているので、子供は数年間、無給で働かなければならない。
家を追われる理由は他にもいろいろあって、天災、はやり病、不仲など。
こうして江戸の町には、常に一定程度の無宿者がいたけれど、ここに天明の大飢饉がおきて、大勢の無宿者が江戸になだれ込んだ。
治安が悪くなって、社会にあぶれた者たちが食うために犯罪を犯す。そして、犯罪者となればもう普通の社会に戻れない。
日本の歴史を見ていると、こういう時には必ず誰か立派な人が出てくるもので、それは松平定信であった。
罪人に社会復帰をさせるため、人足寄場を作って、大工や塗り物などの仕事を与えたのである。賃金も支給して、貯金が一定額に達したら釈放するという制度であった。もちろん戸籍も与えた。
もっとも犯罪者の社会復帰は、今も大変な問題になっているが。
現代の流れ者
今の日本では、人々は自分の家で暮らし、よほどの事情がない限り、たちまち明日の食事を心配する人はいない。
しかし、人間とは贅沢なもので、同じ場所に長くいて、同じ暮らしを繰り返していると飽きる。安定した生活に息苦しさを感じる人種がいて、彼らはその場から離れたがる。
それはバックパッカーと呼ばれる人で、はっきりした目的もなく、自由気ままに世界の旅をする。多少の危険は顧みない。大したお金も持たないのが原則。
この辺が人間独特の行動で、安全、食、性に満ち足りた世界を、あえて捨てる動物は他にいない。
バックパッカーの中には、多くの国を回りたがる人もいるし、どこかが気に入ると何か月もそこに滞在する。この場合、流れ者は居候と言われる。
ただ、木枯らし紋次郎と違うのは、この人たちは日本の戸籍をもって、社会保障も日本に残したまま。だからいつでも帰る場所があって、いざという時の命綱は握っている。
特に最近はインターネットの機器が発達をして、バックパッカー同士で連絡を取り合えば、独自の社会ができあがって、これから行く先の情報がわかる。当てのない旅が、当てのある旅になって、冒険は体験に変わった。
それでも漫然と就職活動をして定年を迎えるよりは、よほど波乱にとんだ人生になる。
流れ者の遺伝子
こういう性格は新奇探索性といって、多分に遺伝的な要素をもつ。DRD4という遺伝子と聞くけれど、詳しいことはわからない。
何につけ、リスクを冒しても新しい物事に挑戦しようという性格で、普通の人より活発な人生を送る。好奇心が旺盛で楽観的、情熱的でもある。だから不倫もする。もし、不倫がばれた時には遺伝子のせいにすればよい。
それにしても、人間の性格まで伝わるとは。そんな遺伝子があるものだろうか。
その答えは幸せホルモンと言われるドーパミンに対する感受性の違いで、さほど複雑な問題ではなかった。
ドーパミンとは人間をより活発に行動させるホルモンで、このホルモンに対する受容体が短い人は、平穏な暮らしを送る傾向にある。
一方この受容体が長い人は、ドーパミンの効果がいかんなく発揮されて、活発な人生を送る。旅に出るのはこの人たち。
それは、辛い物に強いか弱いか、この程度の違いであった。でもそれが人生を変える。
活発な性格が仕事に反映されると、失敗をする人も多いだろう。でもうまく行けば大成功をおさめることもある。
スティーブジョブズもアメリカの文明を離れて東洋はインドに足を運んだ一人。禅も学んで瞑想にも励んだ。ずいぶん遠回りをしたように見えるけど、後のアップル社の成功はご承知の通り。
渋沢栄一は埼玉の百姓家に生まれたけど、二十歳のときに江戸に出た。勉学に励み、北辰一刀流の道場で修行も積んだ。経済界での活躍は目を見張るものがあった。今や一万円札の顔だけど、性格が活発で多くの妾をもった。
だから結婚式のお祝いは、渋沢栄一の新札ではなく、あえて旧札を用意するとのこと。
この人たちの成功も多分、DRD4のおかげではないか。
根拠のない空想を重ねて申し訳ないけれど、こうしてみると、冒険に走る人の心には、安全に生きようとする遺伝子の指令とは、大いに反するものがある。
脳の指令をとるか、遺伝子の指令の指令をとるか、人の心の葛藤がそれ。