こころの15:モリー画伯

オランウータンの趣味

オランウータンのモリーは上野動物園で、ずいぶん長生きをした。すでに片目は失明していたけれど、晩年は絵を描く楽しみを覚えて、画用紙を相手に時を過ごしていた。
飼育員にクレヨンをもらって、描いた作品は80点にものぼり、モリー画伯と呼ばれて個展を開いたこともある。
同じ動物でも鼻で器用に文字や絵を描く象がいるけれど、これは訓練の成果であって、餌をもらうための手段であった。
他にもモネとピカソの区別がつく鳩もいるし、さらにこの鳩は他の画家についても、印象派とキュビズムの作品を見分けることができる。

最古の絵

オランウータンはともかく、人間はいつから絵をたしなむようになったのか。そして、音楽の起源は?

インドネシアで見つかったイノシシの壁画は、4万5千年も昔のもの。アルタミラの洞窟にあったのは3万5千年ほど前のものである。
生きていくことだけでも厳しい自然の中で、人はなぜ無駄のようにも見える、絵を描くという行為を始めたのか。
それは社会におけるコミュニケーションである。あるいはその一環としての主張である。

3万年前の環境はずいぶん違っていて、世界人口は100万人にも満たない。そのまま今の東京に当てはめれば、都内の人口は千人と少し。
一日にひと一人とすれ違えばいい方で、それは究極の孤独である。
こんな世界で壁画を描いた人と、それを見た人は、直接他人と会わなくても、互いの存在を確認して交流することができた。
音楽の起源も似たような頃で、約3万6千年も前のこと。ドイツでリコーダーのような楽器が生まれた。

こうして人は音楽や絵画を通した対話を始め、これは明らかにコミュニティーへの参加を意味するもの。人の生活には欠かせないことであった。
イノシシを捕ったらその絵を描いて、人に伝えたいと思う。
壁画もリコーダーも、こうして始まった対話だったけれど、気の遠くなるような時間を経て、現代アートの領域にいたる。

それは遺伝子を軸においた、人の進化の中で生まれてきたものではあるけれど、生存とか生殖という域を超えた、純粋に心の世界にある。
アートの意味は一人ひとりで違うけれど、アーティストは常に新しい世界を見ようと試みる。それは人を感動させるものであるが、一方で鑑賞をする方も、自らの力量でアートの中に感動を見つけなければならない。
ただし、アーティストが作った作品の意図と、鑑賞する方が発見した感動が、同じ方向を向く必要はない。

ギャラリー21

ギャラリー21はもともと銀座にあった老舗の画廊だけど、世田谷に移転してくれたおかげで、度々足を運ぶようになった。大御所のアーティストから現代美術を志す若手の展示会まで企画して、年に数回行われる個展は楽しみの一つになった。

ここでは、運がよければ作家さんに会って直接話を聞くこともできる。
現代美術に何を感じてよいかわからない者の立場として、作品が生まれた経緯を教えてもらうことは、大いに助かるのです。
日本を代表する作家を、オランウータンと同じ紙面に書いて申し訳ないけれど。以下は最近話を聞くことのできた作家さんたちと、その作品。

池内晶子

糸を空間に張り巡らせる。絹糸を結び、切る行為の集積を宙づりにし、人と空間の関りについて考察するもの。糸の震えをたよりに、見えないものの気配を感じとる、形になろうとするものの声を聞く。ピンとこないかもしれないが、どの作品をみても、緊張感が感じられる。

千崎千恵夫

何気なく放っておかれた木片。そこに目を向け色彩を加えると、まるで時間的な装置として木辺が機能するような魔法が起こる。
作品は木片の一部を切り取って、そこに何枚もの紙を貼り合わせて、もとの木片の形を再生したもの。一見ささやかだが、不思議で壮大なスケールを感じさせる。

青木野枝

鉄板で作った円形を基本にして、主なテーマは生命とその働き。鉄板を溶接して作られた作品は、自然において循環する折々の水の姿を表す。
中でも循環する水は生命の営みを象徴するもの。生命の発生と循環を感得する体験をもたらす。

かつて、この地球上の栄養豊かな水の中で、生命が誕生した。その生命は進化を続けて200万年も前に人類が生まれた経緯がある。
その人類の遺伝子が進化をする中で、生存とは無縁のアートが生まれたことは、進化の副産物であることに間違いはない。
しかし、単なる進化の域を超えて、脳の中で遺伝子と独立をした、何事かおきたのであれば、生物の世界に、何か新しい次元のものができたのかもしれない。

こうしてアートとは一旦生命、生物から離れて、独立した心の領域に入ったものだけど、青木氏のテーマは再び生命の発生をたどり始めたような気がする。
人間とは偶然に生まれて、消えてゆくけれど、その中に躍動する力や感動が発見できるものであると。

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