私はウソを申しません

豆腐は豆腐屋で

小学校に入ったころは広尾に住んでいた。今でこそ高級住宅街だけど、当時は空地がいっぱい。防空壕で遊んでいた。
冷蔵庫がなかったので、生鮮品の買い置きはできず、夕方の買い物はほぼ毎日のこと。
母は買い物篭をもって魚屋や八百屋をまわり、豆腐は私の役目だった。鍋を持って豆腐屋に行くと、水槽の中に豆腐の塊が沈んでいて、おばちゃんは大きな包丁をもって、水の中で1人分を切り分けてくれた。これを持参した鍋に入れてもらって15円。

こんな暮らしも借地だったので、やがて立ち退きを求められて、自由が丘に引っ越してきたのは昭和34年。10歳の時だった。まもなくスーパーのピーコックができて、ここではパックに入った豆腐が売られていた。
父は酒を飲みながら、この絹豆腐が柔らか過ぎると不平を言った。昔は豆腐を買いにいくと、硬い木綿豆腐を新聞紙に包んで、細めのわら縄で結わえてぶら下げて帰ったものだと。ただ、当時地元の句集にはこんな父の句が掲載された。

  湯豆腐の
  箸にこぼるる
  冬の夜

柔らかい湯豆腐もまんざらではなかったのではないか。

高度経済成長

高度成長の時代で所得倍増を訴えた池田勇人が、自由が丘駅前のロータリーにやってきた。いっぱいの人だかりだったけど、私は最前列に陣取って、池田勇人の嗄れ声を聞いた。「私はウソを申しません」
実際、我が家には間もなく冷蔵庫がきて、続いてカラーテレビもきた。
その後は車にゴルフバッグ。次々と新しい物がやってきた。父は日々の診療を終えると必ず晩酌をして、週末にはゴルフにでかけていった。
私は中学、高校に進むと年に3回、定期試験というものがある。試験勉強は一夜漬けと決めていたので、夜中になると必ず腹が減る。自分でうどんを煮て食べて、これが思いのほか美味しかった。この習慣はその後も続いて、酒の肴は自分で作る。これを見て父はいつも不快な顔をした。

「男子厨房に入らず」

それはそれでいいけれど、今どき、男は料理くらいできないと、家庭内では大きなハンディを負うことになる。父はどんなに遅くなろうとも、母が帰って夕食の支度ができるまでは、じっと待たなければならなかった。
こういう夫婦が年をとると、弱みを見せるのは圧倒的に男の方で、食事はおろか着替えから家計まで、全て妻頼りになって、家庭内の最高権力者は母になった。
それでもたまに反抗を試みる父が、独りで行ける店が一軒だけあって、それは近所の澤寿司。飲み過ぎた時は、澤寿司の奥様が父を家まで送ってくれた。

その澤寿司が加入するのは広小路商店会。我が家が面する広小路通りの商店組合である。そこには八百屋もあるし魚屋もあった。角の乾物屋は釣銭を上の方から落とすと言って、母は怒っていた。
銭湯の帰りにかき氷を食べるのは、夏の夕刻の贅沢だったけど、銭湯は証券会社に変わって、かき氷の店は今の不動産屋だろうか。
料亭はビルに建て変わって、1階は衣料品店。後はスーパー成城に変わって、芸者さんの奏でる三味線の音は聞こえなくなった。
電機屋さんは天ぷら屋、そして肉屋さん。
乾物屋は楽器店から洋品店へ。

ピーコックができてから小売店は次々と姿を消したけど、そんな中で父は体調を崩し、20年も続けた診療を休んで内科を受診した。
胃癌だった。当分の間休診をして手術、入院ということになる。
手術を終えて病室に行くと、癌の大きさを聞くので、胃の4分の3を摘出したと伝えた。すると父が心配していたのは、摘出した癌細胞の大きさだった。悪性の程度を心配したのか、老いてなお、医師の片鱗を見せた。

退院してからは、ずいぶんおとなしくなった。禁じられた酒もやめた。やめたはず。

しかし、一週間もたたないうちに父の食卓にはワインの小瓶が載っていた。酒をやめろといわれたからワイン。玄関の横には箱いっぱいのワインが届いた。
・・確かに酒はやめた。ウソではないが。
その後は家にこもることが多くなった。ソファーは父のお尻の形にへこんで、テレビはつけっぱなし。
とにかく意欲がなくなれば、その先にあるのは認知症。唯一の外出は近くのお寺で、土曜の午後に行われる法話を聞きに行く。
そういえば父がいつも手元において、大切に残した本は道元禅師の正法眼蔵であった。
母には出かけるように言われ続けて、ようやく重い腰をあげて引っ張り出したのは、カビの生えたゴルフバッグ。

私はウソを申しません

 
当時九品仏にはゴルフの練習場があって、その向かいにあるのが洋菓子の老舗、パーラーローレル。父はゴルフバッグをもって、1時間ほどでかけて、ここのケーキをいくつか持って帰るようになった。孫もいたので重宝をしたけれど、こんなに気がきく父ではなかったはずだが。

時が経って、そんなゴルフの真似ごともできなくなり、92歳で人生の幕を閉じた。
今、そのゴルフ練習場はなくなって、跡地にマンションがたっている。
先日、その練習場のオーナーだった人が診療にやってきて、父の話をして帰っていった。

「大先生はよくうちに来て下さったけど、ちょっとこれを預かって下さいと言って、ゴルフバッグを置いていかれました」、と。

父はゴルフバッグをもって、ゴルフ練習場には行ったけど、そこにバッグをおいたまま、向かいのパーラーローレルで珈琲を飲んでいた。その時の土産がいつものケーキ。
確かに父はゴルフバッグを持って出かけたけど、練習に行くとは言わなかった。それは、母が勝手に思い込んでいただけ。
父はこんな小ネタのウソはつかなかった。ただ、無口だったので、本当のことを言う間がなかっただけ。

「私はウソを申しません」。