スーちゃんは好きですか
Oさんの受診
Oさんはあまり身ぎれいな方ではない。たいがいは髭が伸びて、着ている服もよれよれだった。古希を迎えて身だしなみには関心が薄れてしまったかもしれない。
Oさんはメガネをはずしてシャツの裾でレンズを拭きながら、もっとテレビがよく見えるメガネが欲しいと言った。見ればレンズが傷だらけになっていたので、新しく処方箋を書いて、メガネの問題は解決した。
その後もたまに訪れて、もっとテレビがよく見えるメガネが欲しいと言ったけど、見にくい理由はメガネの他にもあって、半年毎くらいにOさんは訪れた。
いつものように診察を終えたある日、Oさんは突然こう言った。
「先生はキャンディーズの中で誰が好きですか?」
予想もしなかった質問で、咄嗟にスーちゃんです、と答えた。
Oさんはとても嬉しそうな顔をした。
「ほー、先生はスーちゃんが好きですか」
次の診察は半年後くらいのはずだったけど、2週間もするとOさんは再びやってきた。目やにが気になると言ったけど、特別に変わったこともない。
Oさんは目尻をこすりながらこう言った。
「先生はやっぱりスーちゃんが好きですか」
「はい、スーちゃんが好きでした」
帰りがけのOさんはニコニコというより、今から思えばニヤニヤしていたようにも思う。
ある時この「院外茶話」を手にもって診察室に入ってきた。
「先生は文章のプロですね」
こうは言ってくれたけど、これは全くの社交辞令であることが判明する。
その後もスーちゃんと院外茶話の話をしたけど、高齢者の常として、足腰が弱れば自然と通院も途絶えがちになる。
そんなある日、Oさんから立派なハードカバーの本を頂いた。それは、古典から昭和まで、芸能の歴史ついて記したもので、調べてみればOさんの著書は他にもたくさんあった。
野球、町文化、昭和芸能など、どれも庶民的な題材で、当時の世情が懐かしい。
そういえば私がテレビで初めて見た歌手はペギー葉山だったかな。
変わったところでは「超文章読本」まで執筆して、何回か聞いた「先生は文章のプロですね」というお世辞は、本物のプロが、ちょっと素人をからかってみただけかもしれない。
放送作家
ただ、Oさんは純粋な作家ではなく、テレビ、ラジオの番組の構成をして台詞を書くのが本業。放送作家の大倉徹也である。
子供の頃にテレビで見ていた「夢であいましょう」、「8時だヨ!全員集合」、NHKの「ビッグショー」。
どれも大倉さんが手がけた番組で、他にもあげたら切りがない。
しかし、画面に出るのは出演者ばかり。大倉さんの名前は、エンディングでちらりと出る程度のもので、きっと、みんなが知らない有名人だった。
そして最後に執筆をしたのが「放送作家の時間」。これまでの番組の思い出や、裏話を記した内容で、放送作家として、あるいは大倉徹也としての一生が、ある時は日記のように、ある時は回想のように記されていた。
大倉さんは片手間に書いたコントの原稿が思ったより高く売れて、この業界に入った。
戦後に落ち着きを年戻し、ラジオ、テレビが普及した中で、新しく誕生した職業である。それは番組の開拓者であった。
当時はほとんどが生番組であった。大倉徹也が初代の放送作家ならば、初代のテレビ女優と言われた黒柳徹子と時計を見ながら番組を進行する様子は、紙面を通してもその緊張感が伝わってくる。
他にも登場する人は中村八大、坂本九、杉村春子、加山雄三、石原裕次郎他。
雪村いづみ、美空ひばり、森光子。芸能界が勢揃い。森繁久弥には怒られたり、褒められたり。
この人たちとのエピソードが、時に自慢げに、ときに謙遜をしながら綴られる。この本は読者よりも、書いている本人が一番懐かしかったのではないか。
そしてこの度、問題のスーちゃん。文中にはこう記されている。
「それまでにもアイドル的存在はいたが、私にとってはあくまでもテレビの出演者だった。しかし現在70歳近い男性にも若い頃からアイドルの追っかけをやっていたと公言している人物がいるのを知って、彼ら彼女らとの関わりを話しておく気になった。彼ら彼女らはそれほどまでに、今のおっさんや夫人に影響を与えていると思うからである。」
このおっさんが私であることは後に実名で登場する。ただし、確かに私はスーちゃんが好きだと言ったけど、人生に重大な影響を受けた覚えはない。それに、おっかけもしたことがない。
残念ながら、この本は大倉さんが亡き後、ご遺族と出版社が編集をしたもので、本人が出来上がりを目にすることはなかった。
Oさんが大倉さんということを知ってから、亡くなるまでがあまりにも早かった。
言い訳がましいけれど、大倉さんからご本を頂いた時期は、ちょうど我が家の建て替えと、2度の引っ越しが重なって、じっくり読むゆとりがなかった。
診療の間とは言え、今になってもう少し話ができなかったものかと思う。
自由が丘
そしてこの本の「エンディング」には、長年住み慣れた自由が丘への愛着が記されている。
家を出たところの鈴木畳店
ドゥーズドゥーズプラスの大衆酒場
デザインと印刷の「はんこ広場自由が丘」
焼き鳥、鶏肉の寿々木
文具の「豊栄堂」
乾物食料品の「まるこ屋商店」。もっとも乾物は死語になったそうな。
和菓子の大文字。
歯の悪い大倉さんのために柔らかい弁当を作ってくれる「味よし」。
焼き肉の「京城園」。
フレンチの「プティマルシェ」。
「本間内科クリニック」「秋草歯科医院」そして「土坂眼科医院」。
この土坂眼科医院の院長がスーちゃんのファン。
こうして自由が丘への親しみを綴ったところで、本の終わり。人生の終わり。
大倉さん曰く。
「本当に本当の終わり」