こころの14:ダーウィンが行った
進化論
ダーウィンが進化論を唱えたのは1859年。種の起源という。
当然、万物は神様が作ったとするキリスト教にとっては不都合な内容で、ずいぶんと反撃を受けたけど、裁判にまではいたらなかった。
もし、進化論の内容について公の場で論争が始まったら、かたやキリストの紀元は2000年とちょっと。人類の歴史は200万年。創世論はちょっと分が悪かったかもしれない。
やがてダーウィンの進化論はメンデルの遺伝学と合わさって、「進化の総合説」が確立したのです。
その主張は以下の通り。
*生物の基本は自己複製にあるけれど、時々遺伝子のミスコピーが起こる。
*その結果、以前とちょっと変わった個体が生まれる。
*その個体が、環境に適合していなければ消滅する。これが淘汰。
*その個体が、環境に適合していれば生き残る。これが進化。
すごく納得のいく説明で、もともと生物の誕生とはちょっとした偶然だった。
そして進化とは遺伝子のちょっとしたミスの繰り返しであった。
ただし、そのミスの繰り返しは35億年もの長きにわたり、生き物は元の形がわからないほど進化を遂げた。
もともと生物の行動とは、遺伝子が仕組んだプログラムに従うものである。しかし、特に脳が発達してしまった人間は、遺伝子とは別個、その場の状況に応じて、独自の行動をとるようになった。
その結果、遺伝子によって決められたプログラムと、脳によって決められた状況判断は、人の行動を決める際には司令塔の両輪となった。
そして、今後両者の比重はさらに脳の判断に傾いていくことだろう。こうして人の思考力は大きく、ますます複雑なものになって、遺伝子とは無縁の意思や感情、記憶の分野に心が生まれた。
ローマ法王の認知
時とともに遺伝や進化に関する証拠は次々とあがって、ローマ法王もついにこの進化論を認めることになった。
ただし、それはダーウィンが進化論を唱えてから、100年以上も経った1996年のこと。ウィンドウズ95が発売されて、インターネット元年とも言われた年である。しかもローマ法王が認めた進化は、人間の身体に限ったことで、心はあくまでも神が与えたものという立場であった。
しかし、その後インターネットが物凄い勢いで発達をして、最近はAIが瞬時に手広い判断をする。
脳科学や分子生物学も学力や幸福などの問題に踏み込んで、どうやら心についても進化と遺伝の証拠が集まってきた。
親から子へ
「蛙の子は蛙」。親子の性格がよく似るという意味では、世間の誰もが当たり前と思っていた。
ここに科学的な根拠を与えたのが、遺伝の研究である。特に一卵性双生児と二卵性双生児の比較研究は、これまで半信半疑だった内容に確信を与え、統計的な数値も明らかにした。その結果は以下の通り。
知能指数やうつの傾向、自閉症は遺伝傾向がみられる。
反社会的行動については、もちろん育った環境にも影響を受けるけど、これも親から引き継がれる要素が高い。
酒やタバコ、ギャンブルの好みも5割くらいは、遺伝子の影響を受ける。
今、子供の塾通いが盛んだけれど、学力に関しては、5割くらいが親の学力で決まる。塾に行ってもその影響は2-3割がいいところ。
成績の良い子が欲しかったら、塾に通わせるより、成績のよい結婚相手を選んだ方がよほど手っ取り早い。なお、子供が自分一人の意欲で変えられる学力は1-2割程度なので、受験に関しては、ストレスの割りに成果があがらない子供が一番かわいそう。
変わったところでは、不倫にはしる傾向も3割が遺伝子のプログラムによる。
確かに学校の先生という頭でっかちの身分でも、盗撮を繰り返して懲戒処分を受けたり、現行犯で逮捕をされた大学教授もいた。
不倫がばれて辞職をした国会議員も何人かいたし、セクハラで退職をしたどこかの市長さんもいて、あげつらえばきりがない。
学問も政治も脳の判断が優先する世界である。一方で盗撮や不倫のような性に関する欲望は、遺伝子のプログラムによる。
性とは、人類が誕生して200万年も、続けてきたことだから、いくら脳の指令が優先する業界でも、どこかでつくしのように顔を出すとこういう問題が起こる。
他にも職業が警官であれ、医師であれ変わりはない。
ともあれ、遺伝学の領域では心の働きのことを専門用語で「心理的形質」という。思考や自発性、やる気、感情、性格、理性などが中心となる心の働きである。
研究をした人の論文によって数値はばらつくけど、その心理的形質の30-80%は遺伝の影響で説明できる。なぜ、心のような形のないものまで遺伝をするのか。
ここから先は私の考察なので、当たるも八卦当たらぬも八卦。
脳の神経回路を流れる電気的エネルギーで形作られるのが心。親子で脳の神経回路が似ているならば、そこを流れる電気的エネルギーも似てくるのではないか。
ヴェニスの町の入り組んだ水路には、決まった水の流れができる。ヴェニスでなくても同じような水路をもつ町があれば、水の流れも同じようなものになる。
根拠のない心の遺伝説なのであります。