最高の余暇
今日は明日のために
働きすぎと言われていた日本人のなかでも、最も忙しい日々を送るのは多分30代。30代の人たちを中心に、日本人が思い通りにもてないのが余暇。その少ない余暇を、人々はどう過ごしているのだろう。
天気がよい日は外に出る。健康マラソンやジョギングならば、特別な道具もいらない手ごろな運動として人気が高い。高齢になればこれがウォーキングに変わる。
屋内で過ごす方法としては、圧倒的に多くの人がテレビとパソコンをあげる。他には、ゴロゴロしながらスマホを手にとってみたり、気が向けば本のページをめくってみたり。
その読書も各人が身を置く業界の専門書や雑誌が多いかもしれないが、一般によく読まれるのは実用書。広い意味でのHow toもので、内容は料理からビジネス、自己啓発に至るまで様々。旅行の本も人気があるけれど、健康・医療やお金に関するものは今や定番になった。
間違っても志賀直哉や田山花袋の文庫本がランクの上位に入ることはない。
余暇を過ごす上で、テレビやネットはだいたい無料だけど、お金を払って買う本には、より有意義な情報を期待するに違いない。
本の売れ筋から判断するに、有意義な情報とは自らのスキルを向上させるもの。そして、気になるのが健康と、将来の豊かな生活。
要するに、健康で有能で豊かな生活ということになるが、贅沢過ぎはしまいか。それでも、これを望むなら、投資と不断の努力が必要で、その場限りの楽しみは、単なる怠惰とみなされる。
無駄な娯楽を避けて、今日は明日のために。明日は来年のために。
子供の頃から習い事に通って、それを過ぎたら受験。
そして、大学受験の壁を最後に、新しい生活が始まると思ったら、期待外れに終わるかもしれない。めでたく入学のお祝いをしても一年、二年は瞬く間に過ぎる。そして現れるのが次の壁。
それは就職試験に結婚、子育て。住居の確保。残念ながら、この将来に備えるという連鎖は死ぬまで続く。あまり高い目標をもつと、なかなか余暇がもてなくなる。
十分な準備をして一つの壁を乗り越えれば次の壁。準備をしている今の自分に幸福感を持てなければ、きっと将来ももてないだろう。
こんな一生の中で、準備と努力の隙間に出現する余暇を、有効に過ごすためにはどうすればよいか。それは、将来のための夢や目標から一旦離れること。
そんな意味でも、ぶれずに努力を続ける大谷翔平選手は異次元の人だと思う。
南太平洋の島では若者が昼間からカヴァを飲んでパーティをしていた。そこに働き者の中国人がきて、だらしのない生活をやめて、自分の会社に来て働けと諭す。そうすれば、もっと金持ちになるし、豊かな暮らしができると。
若者が豊かな生活とはどんな暮らしかと聞き返すと、中国人は言った。
「昼間から好きなだけかカヴァのパーティーができるじゃないか」
10年も前の話になるけれど、当時70代だった偉い先生に聞いたことがある。人生、70代が一番楽しいのだと。先生は南極の探検家で長年、研究と実動、家庭の間で苦労をされたとのこと。余暇などあるはずもない。
先生はこう言った。
「70になるとな、カミさんの小言さえ我慢すればいいんだよ。あとはなにもしなくてもいい。したければ何をやってもいいんだ。誰も見てやしないから。」
今は自分がその70代になって、あの時聞いた言葉に、ようやく実感がわくようになった。
自分がどんな生き方をしようと、誰も気にしてはいない。でも、やるべきことはやってきたのだし、人にどう思われようと自分はここにいてよい。
スポーツも旅行も、物理的にできないことは増えたけど、今、自分が楽しいと思える時間を過ごそう。ただ、楽しければ何の役にもたたぬ無駄な時間でよい。
社会からも明日からも離れて、天気のよい休日に少し酒を飲んで、満ち足りた気分になって、ソファーの上で横になる。その体験を純粋に楽しむこと。それが最高の余暇。
もし、そんな楽しみに価値がないというなら、これまで積み上げた成果も、払い続けた年金もかげろうみたいになるだろう。
仕事の成果は、今の暮らしを楽しくしてくれて初めて価値がある。
余暇こそが最高の美徳。
余暇は余暇そのものが目的だから。
人生の中心にあるのが余暇。
虎の威を借るつもりはないけれど、最後の言葉はアリストテレスの引用です。