こころの12:心の誕生
脳の誕生
地球上に現れた最初の生物はシアノバクテリアで、それは40億年も前の話。ただ、この単細胞の生物も突然現れたわけではなく、もとは糖やリン酸を含む小さな分子であった。これが連なって大きな遺伝子となって、この遺伝子を膜で包むようにして最初の細胞ができた。
こんな具合だから、どこから先を生物と呼んでよいかもわからない。
とにかく遺伝子がもつ唯一無二の特徴は、自分と同じ遺伝子を複製することであった。
複製された細胞の中心には常に遺伝子があって、この司令のままに、細胞は機械的な動きを繰り返す。
やがて単細胞生物が多細胞生物になって、鳥類や脊椎動物に進化をすると、これまでにない神経系が発達した。
その先には新たに脳ができて、これは生物の誕生にも匹敵する大事件であった。
脳は生物の新たな司令塔として、遺伝子と共存をするようになった。その結果、遺伝子が何かの指令を出したとしても、脳がその指令を現状に合わせて、より適切な形に修正をする。脳を持った生き物は、より効率のよい生き方をして、さらに繁栄をするようになった。
まず、動物が餌を食べるのは遺伝子の指令による本能的な行動だけど、この先を脳の指令が担当する。
カラスはクルミの実を高いところから落として割る。ときに道路にくるみを置いて、自動車が踏みつぶすのを待つのも脳の判断。
サルは石をハンマーのように使って木の実を割る。
イルカは単純ながら言葉で通信をする。
本来の遺伝子の指令は、脳を仲介することによってより正確で、効率的になった。そして、カラスもサルも社会生活のルールを守って、助け合いもあれば戦いがあるのも人も同じこと。
オオカミのボスは群れの誰よりも強くあらねばならない。そして群れを維持するためには、明晰な頭脳をもたなければならない。これが文武両道。
ただし、脳の司令もあまり高度になると、遺伝子の司令とは無縁のことを始めるし、時に逆行することすらあった。
ゲームや登山のような遊びは、遺伝子と何か関係があるのか。山での出会いが将来の出産につながるものだろうか。
子供を産まずに好きな人生を謳歌する人々を見ると、遺伝子は苦々しく思っているのではあるまいか。
心の成立
脳はいつからこんな芸当をするようになったのか。
それは脳に記憶という機能が備わってから。
脳は過去の出来事を記憶、学習してより適切な判断を下すようになった。とくに群れの集団行動の中で生きていくためには、仲間の様子を見ながら緻密な判断をする必要がある。事がうまくはこべば嬉しいだろうし、場合によっては怒りも悲しみも感じるだろう。
この時、何を感じて、どう判断をして、次に何をするか。これまでの生き物の本能とは少し違った新しい法則ができて、ここに心が誕生した。
こうして脳の指令には新しい基準ができたが、それは遺伝子の指令と大きくかけ離れたものではない。遺伝子も脳も多くの場合同じ方向を向いていて、人の心は美しい姿に感動して、きれいな歌声を好む。
これは人に限ったことではなくて、孔雀は美しく着飾って求愛行動をとった。鶯はどうしてあんなにきれいな声で鳴いたか。好みは動物の時代からあった。
最も発達した脳をもっている生物が人間であることに異論はない。人と動物の違いを探してみれば、言葉を話すとか、火を扱うとか、これとて些末な違いにすぎない。最大の違いは脳の性能の差であって、人がもつ高性能の脳は理想や特性をもつにいたった。
これから世界的に人口も減少していく傾向があって、自己の複製という遺伝子の存在は影が薄くなってくる。
その分、心はもっと進化をしていくだろう。
それがどちらの方向に行くか、それはわからないけれど。