蕎麦喰い

西のきつね・東のたぬき

関東で「たぬき蕎麦」と言えば、かけ蕎麦に揚げ玉が乗っている。でも、関西では代わりに油揚げがのっている。要するに関西の「たぬき蕎麦」と関東の「きつね蕎麦」は同じもので、油揚げが乗っているのである。ちょっとわかりにくいので、以下箇条書き。

  1. 関西ではわざわざ「きつねうどん」と言わない。きつねと言えば、そのままうどんを指す。けつねうどんとも言う。
  2. 揚げ玉はてんかすと言い、かすである。だから、ただである。「かけ蕎麦」にてんかすを乗せても値段は同じで、特別な呼び名もない。
  3. 関西では同じ油揚げが乗っていても、うどんと蕎麦を区別する意味で、うどんはきつね、蕎麦はたぬきと言った。

だから関東にいながらにして、関西の「たぬき蕎麦」を食べたければ、蕎麦屋に入って、「きつね蕎麦」と言えばよい。余計にわかりにくいかな。
私が馴染んだ関東の「たぬき蕎麦」は、揚げ玉が乗っているので、てんぷらかと思って食べると中に海老がいない。化かされたような気になって「たぬき蕎麦」という名がついた。「たぬき蕎麦」とは「てんぷら蕎麦」の海老抜きのことを言う。本当かと言われるとあまり自信がないが。

その「てんぷら蕎麦」から、蕎麦を抜くと今度は「てん抜き」となる。温かい汁にてんぷらを入れただけのもの。てんぷら蕎麦の蕎麦抜きである。昨今「てん抜き」はあまり流行らないが、蕎麦屋では定番の肴である。
どうしてこんなものができたか、つらつら思うに、冷めたてんぷらを、暖かく食べる術だったのではないか。江戸の時代にはビールというものが存在しなかったので、ただのてんぷらよりも、汁もののてん抜きは酒のともによかったに違いない。ただし、てん抜きを肴に酒を飲む場合、ころもがふやけてしまうので早めに食べなければならない。当然酒が残るから、あとは蕎麦をつまみにゆっくり酒を飲む。
至福!

蕎麦の老舗

蕎麦の御三家と言えば藪、更科、砂場。

もともと根津の団子坂に蔦屋という蕎麦屋があって、竹藪に囲まれていたので、いつしか藪そばと呼ばれるようになった。今は藪と言えば神田で、一度火事に見舞われてしまったけど、再建されて元通りの藪蕎麦。引き戸を開けると
「いらっしゃいまし~~~~」という、尾を引く出迎えの声に、あー、藪蕎麦だと思う。
藪蕎麦はせっかちな江戸っ子がススっとすするもので、つゆには蕎麦の先をちょっとつけるだけ。これが粋と言われて、人目があるとたっぷりとつゆにつけていられない。
「一生に一度でいいから、蕎麦をたっぷりつゆにつけて食べてみたかった」なんていう江戸の小話もあるくらいだから。

更科蕎麦は信州の千曲市の発祥。更級の地に領主の一字を拝借して更科蕎麦。麻布十番に総本家をもつ高級店で、蕎麦屋というより料理屋の雰囲気。料理でゆっくり飲んで、更科蕎麦はのびやすいので、ササッと食べる。

最も安易な命名が砂場。豊臣秀吉が大阪城を築城していたときに砂の置き場があった。たまたま、その横にあった蕎麦屋が砂場と呼ばれた。以後徳川幕府とともに江戸に進出して、各地に砂場ができて今に続く。

室町の砂場に行ったときには、高齢のご婦人が買い物の帰りか、三越の紙袋をもって現れた。お銚子を一本頼んで、ざるそば三枚をすすり、最後に蕎麦ぜんざいを召し上がって、あった言う間に帰っていった。こんな格好いい高齢者になりたいと思ったけど、気がつけばただの高齢者になっていた。
ちなみに夏でも天ぷらを美味しく食べられるよう、天ざるを提供したのはこの砂場です。

一方、虎ノ門にあるのが巴町砂場。とろろそばはここが発祥。看板にもあるように有名なとろろ蕎麦で、中に入ればあっちを見てもとろろそば、こっちを見てもとろろそば。隣りをみれば隣りのとろろ。その巴町の砂場がビルの契約満了のため、残念ながら200年の歴史に幕を閉じた。家賃のためにまた、老舗が一つ消える。
廃線が間近の路線に鉄道オタクが集まるように、久々に神谷町に出向いて入ったのが巴町砂場。天抜きで一杯、ざるで一杯酒を飲んで勘定をすると、女将が声をかけてくれた。
「よろしいお召し上がり方で」

砂場の蕎麦は実の中心部だけを使うので色が白い。藪は外側の甘皮を適度に挽き込むので、蕎麦はすこし黒ずんで味が濃い。それに合わせてつゆも濃い。
つゆには辛口と甘口があって、甘口のつゆはたっぷりつけた方が美味しいに決まっている。辛口のつゆには、蕎麦の下の方を少しだけつける。わさびはつゆに溶くよりも、そばにほんの少し乗せて食べると美味しい。半分疑って試してみたが、わさびの風味が増して驚くほど美味しかった。

蕎麦と酒

言い訳をするつもりはないが、蕎麦好きはたいがいの場合、酒が好き。
昼間からでも堂々と酒が飲めるのは蕎麦屋くらいで、肴は天たね、板わさ、玉子焼き。ふところが寂しければ、蕎麦を肴に酒を飲む。上等な蕎麦屋でなくてもいい。小さな店に入って、隅が丸くすり減ったテーブルがきれいに拭き清められていると、心なしかほっとする。

茹でたてを冷たい水にさらした蕎麦は、腰が強くて燗酒にちょうどよい肴。やぼと言われようとも、ちょっとつまんだ蕎麦を、つゆにたっぷりつけてススッと吸って。うどんではこれができない。
こうしてだらだら飲んでいると、冷たく引き締まったそばは、少しぬるくなってのびてくる。でも、ゆるんだ蕎麦は香りが強くなって、これはこれで結構美味しいのです。
日本に生まれてよかったと思う。

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