テオ君の物語

出会い

聞いてはいたけど、ある日、突然にゴールデンレトリバー・ラブラドールの小犬がやってきた。何はともあれ、名前を付けなければならない。以前に飼ったネコはこの作業を怠ったために、一生ネコと呼ばれ、亡くなったときには墓にネコの墓と記された。

丁度我が家では、ディズニーの動物映画「三匹荒野を行く」に感動をしていたさなかだった。二匹の犬と一匹のネコが冒険をするものがたりで、その中の一匹の名前をもらってテオと命名。

しかし、後で気づけばテオはネコの名前であった。本当はリーダー格のルーアという犬の名前がつくはずだったのに。

テオ君の人生はそもそも出だしでつまずいていたのである。いたずら、食いしん坊、人好きという三原色が我が家の生活を一変させたのは1992年7月のことだった。

「過度のストレスを与えると子犬は死ぬことがある」。

獣医さんの言葉を信じきった妻は、どこに行くにもテオを抱いたまま。部屋から部屋へ、買い物へ、インド人が胸に赤ん坊を抱くように。

こうして抱かれていても、たちまち成犬の体重になって、妻と娘とテオ君が散歩をしていたときに事件は起きた。釘を踏んづけて歩けなくなったのである。正確には歩けないように見えた。しかし、抱いて帰るには重過ぎる。結論は簡単、おんぶだった。何のとまどいもなくおんぶをする妻と、何の不思議も感じずにおぶわれるテオと、人生で最も恥ずかしかった日と振り返る娘。家につくと同時にテオは怪我の素振りも見せず、二階に駆け上がった。

闘争

 いたずらが過ぎて、甘噛みの加減を知らない子犬とは、ちょっとじゃれた後にも身体の方々に血が滲む。このまま家の中で暮らしてよいものか。まずは外のベランダに手製の小屋を作ってみたが、肝心のテオは部屋の中から小屋を眺めるばかり、ベランダに締め出すと、虐待にあった可愛そうな子犬を演じて、道路に向かって吠えてみせた。

犬小屋案は一日にして挫折、今度は部屋の中の一角に仕切りを作ってみたが、どんなに丈夫に作っても、どこかの隙間を見つけて脱出する。無理に入れようと思えば、風呂に入れられる猫のように足を突っ張って抵抗した。

こうして家族と同等の生活権を獲得したテオ、長年にわたる盗み食いと、これを阻止する戦いが始まった。

あるクリスマスイヴのことである。家族がスキーから帰る日に鶏を一羽丸ごと茹でた。後はスープに味付けをして、とろみをつけてかけるだけ。大荷物の家族を駅まで迎えに行って、帰ってくると全員でびっくりするはずの鶏がいない。鶏小屋には入れなかったけど、ガスコンロの奥に置いたのだから、簡単に届くはずはないし、第一テオは出かけた時と同じ格好で眠っている。しかし、台所の隅にはまるで洗った後のようにきれいなボールが転がっていた。鶏が入っていたはずの。

こんな事件を度々起こして、テオを閉じ込められないのならば、台所を守らなければならない。こうして我が家には世にもめずらしい、鍵のかかる台所ができた。しかし、敗因は居間に食事を運ぶための小窓にあって、この窓はその後十余年にわたって、犯行の窓口となった。窓から進入をするたびに、現行犯として叱られるテオ。そのときは愁傷な顔をして見せるが、すぐに横を向いて舌を出す。それでも悪びれずに人にすがって、犬の嫌いな人でも膝の上に顔を乗せ、たちまち犬好きにさせたのも、一種の才能だったかもしれない。

家族が一人減ったときに、ぽっかり空いた穴を時が埋めるように、新しい家族に感じる違和感も当初だけ。時がたてばこの突出もいつしか均されて当たり前の家族になった。新聞を読むときには隣の椅子に座って、テレビを見るときには膝に顔を乗せて、休むときには布団に入りたがって。人好きで裏のない表情には、どれだけ癒されたかわからない。日常も旅もとにかく共に過ごして十年余、11歳のときには大きなてんかん発作を起こして、一時は長の別れも覚悟をしたが、それでも数ヶ月のリハビリを乗り越えて復活した。再びテーブルに上って台所の小窓をくぐった時には、怒りを感じる前に嬉しかった。

別れ

永遠に生きるのではないかと錯覚をするほど元気な復活。しかし、やはりそれは錯覚に過ぎない。散歩の時につまずいて転ぶようになり、やがて階段の上り下りもできなくなって、部屋の中にトイレを用意した。それでも旺盛だった食欲に陰りが見えたのは、14歳の誕生日を迎える頃からである。

ドッグフードを嫌がったのは初めて、鶏肉と野菜を煮ると喜んで食べたが、それもはじめのうちだけで、かろうじてしゃぶしゃぶ用の生肉を口にしたのが4月17日のことだった。これが最後の食事である。衰えは駆け足でやってきて、以後はほとんど寝たきりになり、息遣いも浅い。もう自分の体力では起きることができない。起きようとする仕草を見せたときに体を支えてやると、ようやく、頭を上げて水を飲んだ。

こうして迎えた3日目の朝に、最後の体力を振り絞って水を飲んだ。息遣いはますます早くなって、午後には苦しそうにゼイゼイと息をしたが、妻が抱いて体をさすると一瞬顔が穏やかになる。そのときに、もう翌日を迎えることはないと知った。

その日は普段休むことのない居間に布団を三枚引いて、川の字になった。夜にはゼイゼイが一層ひどくなり、ついに開けた口から舌がたれた。上を向かせて、無理矢理水を流し込むと、どうにか1口を飲み込む。しばらくはゼイゼイが消えるが、あとは同じことの繰り返し。早かった息が、しだいに間を置くようになった。息と息の間が2秒間になり、やがて3秒間になって、もっと長くなった。もう苦しまないように、次の息をしないでくれと願いつつも、喉の痛みを思うと水を含ませる。

眠っていた娘を起こし、全員で体をさすってもう一度水を含ませると、かろうじてキャンと言った。もう痛いとも言えない体力、最後にけいれんをするように二度四肢をつっぱって、そうして息をするのをやめた。誰一人欠けることなく迎えた別れである。

妻はほっとしたと言った。私も同じ思いだったが、それはその時だけのこと。臨終とは一瞬の出来事であるが、そこに至るまで自然に移ろう姿には大きな感動がある。この日が来るのがわかっていたから、良くも悪しくもそれまでの14年間を懸命に暮らした。 そして、ぽっかり空いた穴も時とともに埋まるはずだったが、一向にその気配がない。

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テオ君の物語” に対して2件のコメントがあります。

  1. 竹森美穂 より:

    愉しくもあり
    哀しくもあり
    先生の洞察力と表現方法に
    感服致しました
    欠けた穴 
    なかなか埋まりそうにありません
    当方も。

  2. ジエイ より:

    序盤に笑いを重ね。中盤にテオの悪戯っぷりにニヤニヤしながら読み、終盤にはうるっと来るお話でした。
    読みやすい位の長さに加え色々と感情が溢れ出てくる話の上手さに尊敬しました。
    ありがとうございます。

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