こころの4:鶏の恐怖
鶏から鶏肉へ
九十九里で暮らした頃、隣の岡田さんとはよく酒を飲んだ。アウトドア―派の岡田さんは貝や魚を獲って、ついでに浜ぼうふうもとって刺身のつまにした。
防風林の中から自生の椎茸も探してきて、ちょっと怖いきの子も平気で食べた。でも、どうしても食べられないのが鳥肉。
岡田さんの幼少期には、家で鶏を飼っていたのである。普段は家畜として大切に育てられたけど、卵を産まなくなると鶏はたちまち鳥肉として扱われた。
大声で叫んで逃げ回る鶏を捕まえて、首をはねてさらに逆さにつるして血抜きをする。その後、さっと茹でて毛をむしるのだけど、これは聞いただけでも、何だか気分が悪くなる。
岡田さんはこの光景が目に焼き付いて、鳥肉が食べられなくなってしまったのである。
動物愛護保護法
こんな話は少し極端な例だけど、最近は動物愛護の風潮もあって、生き物に与える苦痛には、かなり配慮をされるようになった。しかし、肉を食べるためには、どうしても動物を殺さなければならない。そこで考えられたのが、できるだけ苦痛を減らす方法。
牛も豚も電気ショックで、気を失わせておいてから首を切る。最も痛みを感じない方法は薬剤による安楽死だけど、その薬剤が食肉に残留すると具合が悪い。
ただし、このような配慮をされるのは、ほとんどが食用として計画的に育てられた動物で、その理由は動物愛護団体などの目が光っているから。何かのきっかけで、養鶏所の虐待がマスコミの餌食になったりしたら、倒産を余儀なくされることもあるだろう。
一方で、商売にならなくなったヒナや、伝染病に罹患した鶏にそんな配慮はない。感染した鶏も健康な鶏も、いっしょくたにバケツに押し込まれて、何時間も炭酸ガスを注入される。
こうして何十万羽という鶏が殺された後は、「殺処分」が行われたという無機質な報道がされるだけ。
岡田さんは鶏肉はだめだったけど、鯛の活け造りは好物だった。まだ尻尾がピクピクと動く鯛と目があっても平気。それはなぜか。
鶏を殺す現場を見るのはなかなか勇気がいるけれど、鯛を調理する現場を見ても、見事な包丁さばきに見入るだけで、刺身が食べられなくなる人は少ない。
その理由は、魚は痛みを感じないとされているから。少なくともそう思い込んできたから。
でも、魚は本当に痛みを感じないのか。最近は人と同じ痛みではないにしろ、何らかの苦痛を味わうと主張する人が沢山出てきてヴィクトリア・ブレイウェイトさんもその一人。
「本当に魚は痛みを感じないのか」。この問題にはまだはっきりとした結論が出ていない。
私自身、子供の頃に遊びのつもりで、釣り針で自分の上唇をつついてみたところ、その痛みに飛び上がったことがある。以来、魚があの針を口に刺されるかと思うと、釣りをしようという気にならなかった。
もし、魚が痛みを感じているとすれば、スポーツフィッシングのキャッチ&リリースなど、単なる虐待に見えてくる。
動物愛護保護法では、人間でないという理由だけで、動物の生きる権利を奪うことも、虐待をすることも禁じている。そして、虐待の判定基準は痛みやそれに準ずる苦痛である。
問題はここに記された「それに準ずる苦痛」の方。
実際の痛みもさることながら、心をもった動物が本当に恐れるのは、やがて襲ってくる苦痛や、死に対する恐怖感である。
もう半世紀も前のことだけど、勤めていた病院の近くに実験犬の動物舎があって、夜になると何とも悲しそうな犬の鳴き声が聞こえてきた。
動物実験という名のもとに、いろいろな薬を投与されたり、麻酔をされて新しい手術を受けたり、そんな日々の連続なのだと思う。
実験犬がたまに表に出てくるところを見ると、怯え切った表情で、足が震えてようやく立っている様子だった。
人はゴキブリを殺すのは平気だけど、犬や猫を虐待することをしない。それは心が通じ合う相手だから。
子牛を育てた酪農家が牛を売るときには、子供と別れるような気持ちになると聞いたことがある。この酪農家は自分で育てた牛のステーキを食べるだろうか。
日本ではあまり騒がれないけど、欧米ではクジラやイルカに対する思い入れがものすごい。人は心をもったクジラを擬人化するように愛情を注ぐけど、先方が人間をどう思っているかわからない。
欧米人はこのクジラを食べることはしないけど、同じ心をもった牛の肉は平気で食べる。この神経には矛盾を感じてならない。
生き物の心
では人が虐待、殺傷をする生き物とは何か。スズメバチの場合は巣をまるごと撤去される。シロアリも同じ。多分、撤去をする業者は可哀そうとも思っていないだろう。
その虫が魚に変わったとしても、人は何の抵抗もなく魚を食べる。例えそれが活け造りであろうとも。
さすがに牛、豚、鳥になると、活け造りはなくて、殺し方に気を配りながらも、人は平気で食べる。A5ランクと言いながら。クジラやイルカは、文化や歴史の違い。
この差は何か。それは生き物がどれほど、人に近い心をもつかということ。昆虫には心がないと考えられているが、魚はどうか。豚や鳥は殺されそうになると、あきらかに恐怖を感じている。
生き物は進化をして、心を持つほどに大切に扱われ、虐待はおろか、人は食べることにも抵抗を感じるようになる。
ただし、人間同士となると、話は少し変わってきて、殺人も虐待も後を絶たないから、ここにはもっと複雑な葛藤や無関心があるのだろう。それはこれからのテーマ。