こころの1:浮世根問

宇宙の果ては?

浮世根問は五代目、柳家小さんが得意とした演目で、江戸の昔から語り継がれる古典。八五郎が物知りの大家を相手に、根ほり葉ほり尋ねね事をして困らせるという筋書きである。最初は「がんもどきの裏表」に始まって、少しまともな根問いになると死後の話題。

魚が死ねば「上がる」と言う。鳥が死んだら「落ちる」。鶴亀が死ぬと善良な生き物だから極楽に行くが、ここからが本格的な根問い。その十万億土について。

「極楽ってのはどこにありますかね?」
「十万億土、西方弥陀だ」

その十万億土について。

「宇宙をどんどん行くと、どこに行きますかね?」
「行けども行けども宇宙だ」
「その宇宙をまたどんどん行くと、どこに行きますかね?」

これが延々と繰り返される。
その昔、人は世界を知らなくても、浄土があると言う西方を向いて手を合わせた。夜に空を見上げれば宇宙が広がって、そのどこかに極楽のありかを探したに違いない。

宇宙の広さ

その極楽浄土とは、どれほど遠くにあるのか。実際の距離に意味があるのかわからないが、経典に記された十万億土とは、科学的な根拠に基づいて換算すると十京光年だそうです。老婆心ながら1光年とは光が1年がかりで進む距離で、約10兆キロメートル。光の速度は毎秒30万km。もう、どうでもいい。

ちなみに北斗七星は各星によって、違いはあるものの地球からの距離は約100光年。100年前の大正時代に、星が放った光を私たちが見て、今北斗七星が放った光を見る人々は2120年代の人々。これくらいなら、まだ想像ができる範疇にある。

それでも100年後の温暖化は?食料事情は?人口問題はどうなっていることでしょう。ちなみに下の風景は100年前の東京です。

極楽のあるところは、北斗七星ほど近くではない。十万億土の「土」とは距離というよりも、一つの国土を意味するもので、またの名を三千世界という。

 三千世界のカラスを殺し
 主と朝寝がしてみたい

広大な宇宙を表した、高杉晋作の都都逸です。かつて遊女は「たくさんの客はとるけれど、心を許すのは貴方だけ」という誓約書を書いた。多くの客を繋ぎとめるために、多くの誓約書を書いた。でもこの誓約書は熊野神社の護符の裏に書くのが決まりだったので、誓約を破ると神様の使いのカラスが三羽死ぬ。

そんな罪は承知の上、世界のカラスが何羽死のうと構わない。他の客との約束を全部破って、あなたと朝寝がしてみたい。十億万土、三千世界という、かってない規模の愛の表現だったのであります。

宇宙時間

仏教では距離もさることながら、時間の単位も常軌を逸したものがあって、常人には想像がつかない。法蔵菩薩が成仏してから今まで10劫の時がたつと聞くが、その10劫とはどれくらいか。

「じゅげむじゅげむ五劫の擦り切れ」の、あの劫である。

40里四方というから、四国か九州くらいの大岩があって、ここに3年に1度天女が降りてくる。そして羽衣で岩の表面をさらっとさすって、その大岩が磨滅してなくなるまでの時間が1劫である。そんな馬鹿なと思って話を聞くけれど、これが宇宙の単位になると、見当違いの数字でもなくなってくるのです。
そもそも宇宙の誕生は138億年も前。この数字からして異次元。宇宙は無から生まれた。無とは何か。わからない。

ビッグバン

とにかく最初の宇宙は1cmくらいの大きさで、これが一瞬のうちに膨張をして、その膨張が止まったときに光と物質が生まれた。灼熱の状態が起こっていわゆるビッグバン。
その中で大量の素粒子が生まれた。無から生まれた素粒子には「粒子」と「反粒子」があって、この二つが混ざると、また無に戻るはずだった。
しかし、何らかの理由で、粒子よりも反粒子の方が、10億に1個ほど少なかった。そのため、わずかに残った10億分の1の粒子でできたのが、現在の宇宙。だから今、反物質はこの世に存在しない。

これがCP対称性の破れでノーベル賞に輝いた小林・益川理論。

その後宇宙は冷めてクオークが集まり、陽子だの中性子だのができるのだけど、これはもう研究者の世界で、勉強してもすぐ忘れる。とにかくビッグバンに続いて、細かい塵が固まって星ができ、やがて銀河に成長した。太陽系も地球もできた。
天の川もその銀河の一つで、端から端まではざっと10万光年。この銀河が約一千億個もあるというから、天女の羽衣も十万億土もまんざらはずれでもないのです。

大地にしっかり腰を据えてなんて言っていた日には、あまりにちっぽけな話でどこかに飛んで行ってしまうだろう。こんなに大きな宇宙だから、膝も腰も痛む今となっては、極楽への旅はとても無理。足腰よりも品性の問題と言われれば、もっと無理。

万一宇宙に飛び立ったとしても、極楽があるという西はどちらか。失恋をした女が東へと向かう列車に乗るけれど、宇宙ではどっちに向かえばいいかもわからない。
東西ばかりではない、上下も含めて宇宙には座標軸がない。今我々が常識と思っていることは、全て地球の上の話であって、結局右とは自分の右手がある方向。

これは正しいのか。物知りのご隠居がいたら、是非このあたりを聞いてみたい。

時間の基準も似たようなもので、地球が回るから一日ができた。太陽を一周して暦ができた。暦があるから年をとる。ならば宇宙に行けば、時の単位はなくなるのか。

三千世界の暦をなくし
いくつ(何歳)と問われりゃついこの間

これは高齢者といわれる私の川柳です。

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